本のしごとレポート

今日は久しぶりに国立本店に行って、本のしごと研究室に出席しました。
今回は担当ではなかったのですが、簡単に自分レポートを書いてみます。


もう10回も開かれたトークショー、前期最終回は、白井明大さんでした。

白井さんは、コピーライターであり詩人でもある、垣根越えが好きな人。

左翼の家庭に育ち「お巡りさんに[さん]はつけるな」教育を受けた人。
高2の時の彼女がソウイウ事に価値を置く人だったから弁護士を目指し、
大学では司法試験にも挑戦するが、デザイナーの友達を見て「良いなあ」
試験に見切りをつけて「小説家になる」宣言をするも、4ヶ月で諦める。
本屋でバイトをするが、このままではどうも…と思い、就職活動を開始。
1社目のコピーライター募集に経験はないが応募して、合格してしまう。

「27歳でコピーライターになりました。」という一言の裏にある事実…。

法律を学ぶ学校では、論文は万年筆かボールペンと決っているんだって。
間違えても2本線で訂正していいんだけどそんな雰囲気でもないらしい。
そういう論文をみっちり数年にわたって書いていた弊害が、その仕事に。

・漢字が多い
・パッと見では伝わりにくい
そういった事を、入社後1年間かけて徐々に学んでいったんだそうです。



コピーを書く事と対極にありそうな詩人としての顔はいつ生まれたのか?

「友達に倣ってホームページを開設し、その挨拶文をいろいろ考えた時」
ある詩に直面した時、それはまさに暗号文で解読不可能だったそうです。
しばらくして『空気あつめ』という詩集に出会って詩への印象は変わり、
詩を書くことを身近に感じる事が出来たのだ、とお話しされていました。

インターネットが普及したことで、詩のレベルが底上げされたのだとか。
女子中学生、女子高生、若いノートの端っこが世界へ流れる時代であり、
検索で世界中の素晴らしい有名な詩や先端の詩に触れる事が出来る時代。
「かっこいいから真似をする」を中高生がするのは大変良い事なのだと。
それは、画学生が好きな画家の模写をし技法を真似るのと同じなのです。
村上春樹が好きだから小説を書いてみる、とりあえず「やれやれ」と…。

真似する事で得る物は多く、表現が所謂イタイ場合も若ければ良いのだ!
だって!そりゃそうだ!明解で素直な意見に嬉しくなった。


白井さんは「暗号のような詩は今でも受け付けない」ということでした。
言葉で日常を描く事で反戦の想いを込めて作品にしているのだそうです。

私は詩を書かないけれど、ブログが詩っぽいよねとよく言われてしまう。
詩の認識ってそういうもので、それは否定するようなことでもなかった。
何をもって詩とするかよりも、何を伝えたくて文章にするのかが大切で、
それは誰もが知っている大きな事実だもの、ちょっと見失いがちだけど。

あふれる言葉に人間が溺れるようなら鳴き声だけで生きていけばいいよ。
って前に書いた気がするけど、なんか似たような事を今日も思いました。


その他、輝いていた白井さんの発言

・確定申告で詩人、コピーライターと書くと、同情される
・上達する事は慣れてしまうという事
・言葉は流布されて、どの言葉にも手アカがついてしまっている
・言葉のイメージを削ぎ落とす手法
・80年代はコピーがサブカルだった時代
・不況によってコピーが“まやかし化”されてしまった
・就職氷河期に
「社会は基本的に自分の味方ではないんだと思った」と言っていた友人


今日のケータリングも素晴らしく美味しかったよ。料理できる人すごい。
玄米の豆ご飯、一口かき揚げ、焼き茄子、野菜スティックのお味噌添え。
さらに、グレープフルーツの寒天まであったよ…!ごちそうさまでした。


以上

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