溺れた水芭蕉

昨日の京王線で嫌な汗かきながら帰り、
胃が痛すぎて眠れていないんだけども、
一晩越してもすっごく痛いんだけども、
けっこうどうでも良い話しを書きます。長いなー



ファッションは好きではなくて、しかしそれはあまり良い傾向ではない気がする。
興味無いですとは言い切れないけどそこらへんの大学生より興味は薄いと思うな。
ファッション雑誌を見ていても、デザイナーの何が良いかなんて見えて来ないし、
(見ようとしていないというのはすごくあると思うから、ちょっと反省してる)
あ!これ好き!これは好きじゃない!みたいな楽しみが正しいとも思うんだけど、
そういった興奮も、現行の雑誌からは強く感じる事が少なくなったよ最近の私は。
これは雑誌としての魅力を感じられないからなのかは判断が付けづらい所ですね。

聖子ちゃんカット的な、そういうファッションが今はどこにあるのか知らないな。
既に目にする事は一生無さそうな髪型ですけど石川梨華がやってて超可愛かった。
永続的な存在と対極にある物に興味が薄いという自分にすごく不安を覚えました。
形而下で対極の存在同士が形而上で反比例双曲線を描くとは全く思えないもんね。

へーそうなんだ、今そういうの流行ってるんだ。

と思ったり口にしたりしながら横目に流して定番になるかならないかを気にする。
様式として残っていくものに目を光らせていたいと思っているなら良いんだけど。
女性服からパニエが消えた18世紀に一体何があったのかを知って考えてみると、
ここで何かが消えたり発生したりするのはとんでもない物でないと残らないよね。

新しい物を!革命を!という気持ちには今までに一度もならなかった気がします。
元々、頭の螺子飛んでるというより数本多い感じだから普通に考えてもズレてる。
普通じゃないよ君的な発言、素直に受け取ってはいるけれど割とコンプレックス。

何の話しだ。

だから、別に新しい物創りたいとか今までに無い衣裳を生み出したい訳じゃない。
例えば衣裳替えに於いて、より一層の美しさ(機能面において)を生みだすとか
そういうのに怠惰な姿勢で臨むとか言っている訳ではなくて(何か偉そうだ…)。

うっわー新鮮!斬新!モダン!ヒュー!何これ?!に力入れなくていいかと思う。
グラフィックに於いても私はそういう思いがあるのですけど、それは駄目かもね。

夢で着てたの、前にあったと思ったけど、そう、なかったの?どうでもいいけど…
とかいって新しいの出来ちゃいました〜というくらいで良いと思うんだよなあ〜。
学生でグラフィックデザインにいて衣裳ね、新しいデザインで生みたいんでしょ?
先生の目にそう言う色が見え隠れしている気がしてちょっとびくついている次第。

私、完全なる懐古主義ではありませんが、革命児への立候補の予定もありません。
物を百年間使い続けることでその物に命が宿ることを信じて価値を見ているだけ!



っていうか、正直に言っちゃえば7月の公演で
「これアレの真似でしょ」が出るのが怖いです。
結果的に真似になっていても全然構わないけど、
元ネタ知らないとなったら赤っ恥ですよね本当。
資料を参考にしないで決めたときがまじで不安。

潜在記憶の影響は夢と似ていて好きなんだけど。

そう言うのを払拭するのはやはり手仕事にあると思うんですね。
どれだけ凝った作業が出来るかにかかっていると思うんですね。
テキスタイル学科の子のブログ見るけど見られるの自信が無い。
劣等感ってこういうことを言うんだと思った。やっべー悔しい。
あーあ、本番も、見にきて欲しいけど見にきて欲しくない感じ。

この初々しい感情が嬉しいですね。(強がり)

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