gqを読んでいる。
私を沈めてくれる。
沈められた私がよく行き着く思いについて書きます。
ハンス・ベルメールを好きだとか敬愛しているとか、
そういうことを幾度となく言いながら絵を載せない。
単純に怖いです。
小貴子が脚や肉を書き始めた時はまだ知らなかった。
ハンス・ベルメールのデッサンにはまだ会ってない、
学校でもクロッキーばっかりしている時だでしたが、
そういうのって全く関係ないでしょう、閲覧時には。
そして、今この私のページにベルメールを載せたら、
ただのやりきれてない真似みたいに見えるかも、と、
すごく恐れているからまだ載せることは出来ないな。
だからまだまだ足りないんだなあ、あー泣きたいな。
真似してないっていうのは、真似できてないと同じ?
本当、個性的な絵を描いてる気は全くなくてね。
ジャンル分けできるっしょ、他にもいるっしょ、
って思っているし誰でも描けると思っているよ。
それは、ベルメールを見てからずっと思ってる。
こんな人がいるんだからあと300万人はいると。
(でも受け入れがたい絵ではあると思っている)
だから、四谷シモンデッサンver. になりたいな。
人形はベルメールのものより彼の方が好きです。
ベルメールの線と、初めの方の明るさは甘いアイシングのようです。
モティーフも目つきもポージングも全て私の視界にとけ込んでくる。
後半のデッサンは、磨いだばかりの濡れた刃のように美しいのです。
線が、あの凶暴な(負傷を負うような)激しいモティーフによって、
紙面から切り離されたかのように美しく浮かび上がるのだと感じる。
それは私があの激しいモティーフに触れると血肉が先立つからです。
血肉の生々しい音やぬめり、てかりに、感情や動きが無になります。
冷めてしまう。
焦がれるような甘い香りは途端に地に落ち私のまわりには雨が降る。
私が今、描きたいのはアイシングに媚薬の香りが足された物だなあ。
という考えに至ると、この一連の沈みはまとまって徐々に消えます。
あーなんて面倒な生きものなんだろうなー
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