光る箱の中で起きたこと


糸を、たくさんの増える糸を引いて歩いてゆくのだと思います。

生活したり、暮らしていくのはそう言う事でもあると思うんだ。
あの人と、触れて交わした言葉は絹糸になって私と繋がります。
繰返しの触れあいが糸に縒りをかけ、艶を生むのだと思います。
もっとも大切にするべきことで、それは万人共通だと思ったの。
それを、前ぶれなく断つ事は相手を斬り自分の壊死と同じだと。

慕う慕われるに限らないで、というのは本当に難しいんだけど
でも、そこに注ぐ必死の愛情は周りの糸にも縒りをかけるのね。
なるべく、どんな風に思われていても断ち切らずにいたいです。
糸の束に刃を当てて一本だけを断つことだってあり得ないもの。

重たい重たい、と思いながらゆっくり小股になる歩幅は正しい。




大学1年の夏に渋谷のスタバで考えてて思ったことだったけど、
昨日の夜中、改めてこの考えは外れていないんじゃないかって。

そう思いました。
そういう人でいたいなあ、って思います。
そんなおばあちゃんになりたいと願うよ。

(最近、どういうおばあちゃんになりたいかを基準にすることがよくります。その度にターシャテューダーを浮かべます。)(なんか、下の記事と続けて糸と言ってて輪をかけて解りづらくなってて残念。下で言ってる刺繍の糸とは関係ないよ。)

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